新たな世界を垣間見ると価値観というものが馬鹿馬鹿しく感じます

「合法的無銭飲食」体験者だけが知る驚きの世界

https://toyokeizai.net/articles/-/424384

>>>ずっと「おいしいもの」に多大なる情熱を傾けて生きてきた。店をめぐり、珍しい食材を手に入れ、キラキラしたレシピ本を買い、「おいしい!」と叫んでは充実を感じた。それは我が人生の豊かさの象徴であった。でもこの採取生活を体験してから、「おいしい!」かどうかは二の次三の次、その重要度は激しく後退してしまったのだ。代わりに急浮上したのが「食べられる!」という喜びである。

これは価値観の変容というか、今までの価値観が変わった瞬間だと思うのだが、そもそも合法的無銭飲食という言葉が面白くて興味をひいてしまう。おそらくこの記事を読んだとしても実践する人はいないのだろうが、こういう価値観は自分で経験しないと変わらないというのが常だ。自分の中にある当たり前を覆した瞬間。

海外旅行に行くと価値観が変わるよ!という言葉をよく聞くのだが、僕はあまりそうは思わない。もちろん景色は綺麗だし、言語や文化はいつもと違うが、大抵の場合は何か自分の文化の中で生きようとする人の方が多い。彼らの日常を真似しないことには価値観なんて理解できない。タイのカオサン通りなんて初めて言ったらすげーと思うかもしれないし、楽しいかもしれないが、あれは相当アメリカナイズされた場所だ。日本にもアメリカナイズされた場所は多数存在するので、それは正直参考にならない。

つまり「価値観」とみんなが言葉を発しているものは、実は価値観などではなく、文化といえるでしょう。その文化の中にある独自のアレンジが価値観ということになる

>>>そこらの野草を採って食べるという体験は、ただ食費を浮かすとかそういう小さなことにとどまるものではない。一度その体験をしてしまったら、そのささやかな行動は小さな種となって自分の奥底に止まり、次第にムクムクと成長して人生そのものを根底から覆えす可能性を秘めているのだ。

この文章にも書いてある通り、何か単純明快な行動がそもそもの人間の根底から逸脱する場面も増える。どうやらこの人は衣食住においての食の50%ぐらいを資本主義から脱出したのだろう。まあきっとそのうち畑でも購入して自給自足をしていくに違いない。そういえば最強のスキルは農業と漁業だと思うので、そんなに職にこだわりのない人はそれをやるといいかもしれませんね。