感情優先社会の末路

https://toyokeizai.net/articles/-/414929

>>>それでも、私たちはなんとかしてコミュニケーションの手段を考えないといけないと思います。これまで自分と考えが違う人は見えない人、存在しない人だったかもしれませんが、私たちは世界の多くの人々だけなく、自分が住むコミュニティの中でさえ自分とは違う世界があることをもっと強く認識しなければならない。芸術やジャーナリズムにかかわる人はもっとこのことを意識すべきです。小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラルや進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。リベラル側の人たちはこれまでも本や芸術などを通じて主張を行ってきましたが、そうでない人たちが同じようにすることは、多くの人にとって不快なものかもしれません。

僕の理念の最終形態のような考え方をしています。カズオイシグロについて僕はよく知らないのでまずはこの人を知る勉強をしようと思うのですが、僕も同じような危惧を抱えて生きています。昨今の感情優先社会では、自分がどう感じたかということを全面に押し出すのが正義という、現代的のようで原始的な極めてレベルの低い論争が繰り広げられています。

エビデンスなしに話すと討論が進まないのはディベートのあるあるなのですが、一次情報について知らない人がほとんどだなと感じています。僕もその1人なので、しっかり論文とかを読み解く人生にしないとダメだと思っているので、最近は論文に目を通すようになりました(教育分野)もし面白い論文があったら勧めて欲しいのですが、

なんにせよ、社会が頭が悪くなってしまっているのは事実を確認するとか、知的好奇心とか、そのようなものがなくなってしまっているからだと感じています(これも感情優先なのかもしれないですが)しっかりデータを取るような習慣を日本の教育に持ち込めば、世の中は少しでも変わるかもしれませんね。数学の授業でデータって結構無下に扱われてるし。笑