人間は1日何食がいいのかという議論に終止符を打ちたい

朝ごはんが一番大事。朝ごはんは必要ない。昼ごはんはダメ。夜ご飯は一番太る。なんだかんだいろんな論が一日がありますが、とても不毛です。なぜかというと、全部あってるし全部間違っているから。研究っていうのは断片的に切り取って、この条件下ではダメというのを言っているので、この条件下では朝ごはんはダメだけど、この条件下では朝ごはんは良いみたいな話なんです。

例えば、とても極端な例ですが、漁師が朝ごはんをやめたらどうなるでしょうか。おそらく朝からカロリーを消費しているので、力不足になってフラフラしてしまうでしょう。逆に朝から集中したい人が朝ごはんを食べてしまったら、血糖値が下がる瞬間に眠たくなっちゃって意味がなくなる。これも映画の話と一緒で立場によって変ります。

ここから論じていきたいのは、研究というものに対する認識だ。 研究ってとても重要で、文明の発達に数々の貢献をしている。しかし、日本では研究者に対する投資額が少なすぎて研究者が生きれる社会にはなっていない。

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給料ナビでは550万円だ。研究者の知り合いがたくさんいるが流石に550万円の労力ではない。圧倒的にもっと上だ。社会への貢献度も上だ。しかし今の日本ではこれだけしか受け取ることができない。なかなか生きづらい社会になってしまっている。

それは単に、一般的な人たちの感覚が研究というものを軽視しがちだからだと思う。1人の研究者を養い、研究を続けるためには、大学であれだけの学費を払って維持する必要がある。つまり、僕らは自分たちの学びにお金を払っている、施設維持費にお金を払っているように見えて、研究者を養うためにお金を収納している。とても搾取的には感じるが、そうするしかない。価値のすり替えをしている。とても悲しい話だが、とても現実的な話だ。

今回は朝ごはんを中心テーマに研究というものについて見てきたが、結局言いたいのは、受け取る側のy見取り力に全てがかかっているということだ。研究は意味ないと受け取る側が受け取ってしまっては、資本主義の社会では生きていけない。辛い世の中です。